Sa Majesté Delphi, roi des chats (2)
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デルフィーが残した『
Lettres perchanes』より抜粋:

教会のミサに関する一考察


 私は、教会の隣にある家を住みかとしている。ひと昔までは、司祭が住んでいた家である。

 フランス革命の後、教会は公的な施設となった。私の村でも、教会と司祭館は村役場の所有資産であったが、戦後キリスト教がすたれたのに伴って村に住む司祭がいなくなり、司祭館は民間人に売られた。

 司祭が住まなくなった今、司祭館という名は残っているものの、普通の家と全く変わりがない。

 司祭の生活を思わせるのは、塀にそってブドウが植わっていること、庭の一角に野菜畑があること、門の横にあるブタ小屋だった建物がゴミ置き場として残っていること、地下に立派なワイン・セラーがあることだけだ。つまり、司祭の食生活を支えていた部分だけが、今日に受け継がれているのである。

 しかし教会がすぐ隣にある家で育った私は、おのずとキリスト教に興味を持つようになった。そして幼いころから、ミサを一度見てみたいものだと思っていた。

 私が住んでいるような農村地帯では、日曜日のミサは毎週行われるわけではない。周辺の教会で順繰りにミサが行われるので、この村の教会でミサが行われるのは2ヶ月に1回くらいである。

 葬儀や結婚の儀式も、教会で行われる。しかし、そのように何らかの目的をもったときではなく、ただ日曜日だからと集まるミサというものを観察してみたかった。


 
長年の願いがかなって、昨日、ミサを見学する機会が訪れた。


 教会の前を通りかかったとき、駐車している車の数が多いのが異様だと感じていると、突然、けたたましく教会の鐘が頭の上でなりだした。そのため、この村でミサが行われる日なのだと分かったのである。

 教会には20人ほど集まっていた。ほとんどが高齢者、それも女性の姿が目立った。
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 教会を入ってすぐのところに陣取ってミサを見学していたのだが、司祭の話しは大して面白くはない。特に、聖書の朗読をするのは能がないと感じた。昔は文盲が多かったので意義があったのだろうが、平均的学歴が高くなった現代になっても続けているのは理解しがたい。

 しかし、ミサというものは良くできていると感心した。つまり
ミサは、参加者が退屈しないように工夫が凝らされた儀式として確立されているのだ。

 集まった人々は、ただ司祭のお説教をじっと聞いているのではない。

 頻繁に、立ち上がったり、座ったり、を繰り返すのである。胸の上で十字架をきったりすることによって、体の一部分だけを動かしたりもする。
 
 さらに、ときどき「アーメン」と呟かせたり、オルガンに合わせて歌わせたりもさせる。何も言わないでじっと人の話しを聞いているのは、辛いものである。特にフランス人は多弁だから、1時間も口を開かないでいることなどには耐えられないはずだ。多弁という上では、イタリア人の方が上手であろう。程度に口を開かせることによって欲求不満をおこさせないという配慮は、イタリアで考え出されたのかも知れない。

 さらに、敬虔な信者らしい人々は、司祭のように壇上にあがって朗読をする。彼らの誇らしげな様子を見ると、かなり名誉な役割となっているらしい。容姿端麗、あるいは品行方正らしい子どもたちは、司祭の助手を勤めている。合唱団も編成されている。こちらは、音痴であってメンバーになれるらしい。

 ミサでは、全員が、何らかの役割を演じることができる

 ミサには「アンガージュマン(engagement)」の要素がある。すなわち、自らが参加し、自らを拘束するという行為をさせるという要素だ。

 しかし奇妙な瞬間もあった。司祭が「これはキリストの血」と言って、白ワインを厳かに飲むのだ。「血」と言いながら、なぜ赤ワインでないのか解せなかった…。

 正午に近くなった。ミサも最後に近づいたと思われる。すると、祭壇の前に人々は行列をつくって並んだ。なんと司祭が、薄いビスケットのようなものを一人一人に与えているのだ。そろそろお腹もすいてきた時間だ。なんと気のきいたセレモニーだろう!

 先ほど司祭が飲んだワインを、ビスケットと一緒に飲ませるのかと思ったのだが、ワイン・グラスはすすめられなかった。少し片手落ちである。しかし、もうすぐミサは終わりだ。ビスケットを食べて乾いた喉は、カフェか、自分の家で喉を潤すものを飲めば良いというのであろう。

 しかし、これだけよくできていながら、もうひと工夫があっても良いのではないかと思った。私が法王なら、もっと人々に喜ばれるミサをするように、各地の司祭を指導するであろう。
 
 歌を歌わせるだけでは片手落ちである。もっと積極的に体を動かさせるべきではないだろうか?

 
立ったり座ったりする、あるいは指で十字をきるだけでは、動きが単調過ぎる。運動というものは、ある程度の時間、筋肉を色々な方向に動かすところに快感があるのだ。

 せっかくイスが温まったところで重い腰をもちあげるのも、気分を良くするものではない。しかも、ようやく座れたとほっとすると、またすぐに立ち上がらなければならない。観察していると、信者たちが立ったり座ったりする動作は機敏ではない。従って、この体操が心地良いと受け取られているとは言えないであろう。

 イスラム教のミサでは、何度も床にひれ伏すことが程度なストレッチ運動となっているではないか。薄いとはいえ、各自が運動マットまで敷いているのである。

 キリスト教のミサでも、もっと体操の要素を取り入れるべきであろう。腹の底から賛美歌を歌ってストレスを解消し、体を適度に動かしてリラックスさせるのだ。そうなれば、週に1度の集まりは、健康のためにも良いということになる。ミサに集まる人の数は多くなり、それに伴って、司祭という職業に就こうという人も充分な数だけ現れるはずである。

 そのような改善策を提案した信者が過去にいなかったのなら、私が、それを知らせるべきだと考えた。

 勇気ある何者かが率先して、行動することが必要である。フランス革命でも、民衆がある日、突然、暴動を起こしたはずはない。誰かが立ち上がり、それが数人になり、さらに人数が増えて暴動が起こったのである。

 私は前足を踏ん張って背筋を伸ばし、賛美歌に合わせてストレッチ運動を始めてみた。しかし最後尾にいたものだから、誰にも見えなかったらしい。反応が全くなかったのだ。

 これがネコたちのミサであれば、ネズミを一匹放つだけで、全員が運動を始めるきっかけとすることができる。しかし人間が集まったミサでは、それは余り効果がないであろう。
 そこで私は、中央の通路に躍り出て、そこを駆け抜けてみた。

 走ってみると、教会は運動するには充分なくらいのスペースがあることに気づいた。机やイスも、ところ狭しと置いてあるので、それを潜り抜けて走るのはスリルもあって楽しい。教会は、結構な室内運動場としても使えるのだ。

 しばらく走り回っていると、ようやく私に続く者が二人現れた。しかし他の人々は、見て見ぬふりをしている。今までの習慣を破る勇気がないのだ。しかし運動を始めた二人も、それほど楽しんでいるような走り方ではない。おどおどと、いじけた動きである。しかも私の後ばかり追ってきて、全く自主性がない。走る方向を変えてみてが、やはり、こちらのマネばかりする。

 余りにもしつこく後について来るので、いつの間にか私は教会から走り出てしまった。

 
その後に続く者は一人もいなかった・・・。

 走るという運動は、彼らには過激だったのかも知れない。ミサに集まっていたのは高齢者たちだから、机やイスなどの障害物がある場所で走るのは危険だと考えた可能性もある。

 ミサが終わるのを待って、教会の庭や墓地で、軽い体操をするように指導した方が適切であったと反省した。しかし、そのためには、教会の庭というものは、結婚式の後にカクテルパーティをするためにだけ存在しているのではない、と教えてやらなければならないであろう。
<以下省略>


デルフィーの話は続きます 



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