投書より

大往生をとげたホームレスのエスデー
Fable de la fontaine Hesdé

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メフィスト編集長 (Méphisto)様へ
毎日雨が降るので、センチメンタルになっているネコより

 人間の世界にはハート・レストランというのがあって、ホームレスの人たちに食べ物を与えるボランティア団体があるそうです。僕たちネコにも、SPAというホームレスの動物を引き受けるボランティア組織もあるし、ホームレスのネコを家族として受け入れる人たちもいるのは幸いなことだと思います。

 でも冬の寒さが厳しくなると、ホームレスのままでいる猫たちのことを考えてしまします。冬空の下で食べ物を探すのは大変ですから・・・。
 
 そう考えてしまうのは、数年前のこと、ボクの家にホームレスの猫が来るようになったからです。

 家の人たちが食べ残しの鶏肉をあげてからは、ほとんど毎日のようにやって来るようになった雄ネコです。

 とても人なつこいネコでした。庭の片隅で待っていて、外出先から家族の人たちが帰ってくると、飛び出してきて歓迎のジェスチャーをするのです。地面に寝転がったり、「ロン、ロン」とお腹をならしたりして、すごい歓迎をするのです! 撫ぜられると、地面をころがりまわって喜びました。よほど愛情に飢えていたのでしょうね・・・。それを見ていると涙が出てしまうほどでした。

 「こんな猫は見たことがない」、と家の人たちが言っていました。ボクは恵まれた生活をしているので、お腹を撫ぜられたくらいでは、そんなに大騒ぎする気にはなりきません・・・。


Hesdé, SDF

 フランス語でホームレスとのことはSDFと言います。固定した住居がない、つまりホームレスという意味です。

 このノラ猫には、SDF(エス・デー・エフ)というのをもじって「エスデー(Hesdé)」と名が付けられました。

 知らない人が聞いたら、どことなく異国的で、ステキな名前に聞こえます。 

 いくら人懐こくても、エスデーにはホームレスの猫であることを自覚している気負いがありました。家の猫になるという気持ちは全くなくて、いくら親しくなっても家の中には絶対に入りません。

 ボクはよそ者が来るのは嫌いなのですが、この猫にはテリトリーを荒らされないだろうという安心感が持てました。

 さぞ辛い日々を生きてきたのだろうな〜・・・と思うので、意地悪する気にもなりません。それに、もし彼と決闘したら、ノホホンと育ったボクが負けてしまうことは明らかだと思えるので、ボクから戦いを挑む気にもなりませんでした。

 エスデーはかなり高齢のようでした。結核か何かにかかっていたのでしょうか? 気の毒になるくらい痩せ細っていて、ゼーゼーいって呼吸は苦しそうでした。

 家の人は、ともかく予防注射をしなければと言ってお医者さんに連れて行きました。でもお医者さんは、「もう自然免疫ができているので、こんなツワモノには予防注射なんかする必要ない」と言ったし、結核かどうかの精密検査もしてくれなかったのだそうです。


 でも食事療法が効いたのでしょうか? 2カ月か3カ月たつうちに、エスデーは見る見る太っていきました。ゼーゼーいうのもなくなりました。

 食事の時間にはかならず姿を現すようになったのですが、エスデーが遠慮深いことには変わりませんでした。

 やがて冬になって寒が厳しくなると、家の人たちが餌でつって家の中に招きよそようとしたのですが、エスデーは玄関の敷居から先には絶対に進んできませんでした。

 ボクは、夜になるとエスデーがガレージの片隅で寝ていることを知っていました。それでもブルゴーニュの冬には、最低気温が15度くらいになったりするくらい寒さが厳しいのです。ついにエスデーは、真夜中になると、ボクの専用小玄関を通って、台所のヒーターの前で寝るようになりました。家の人たちが起きてくる時刻になる前には、ちゃんと外に出ていましたが・・・。


 ヒーターの前で寝るようになってから何日もしないうちに、エスデーは近所の家で亡くなりました。ホームレスの猫たちに食べ物をあげている家でした。

 家の人たちは皆で悲しがりました。よその家でも食べていたということは、食べ物が足りなかったせいなのかと反省したりもしたようです。でも、あえて自由の身を捨てようとしなかったエスデーです。不義理なことをしていたと分かっても、責めるわけにはいきません・・・。

 エスデーには優しい態度を示さなかったボクも、彼が亡くなったと聞いて寂しい思いをしました。

 エスデーがどうして死んでしまったのかは分かりません。

 食べすぎが原因だろう・・・という結論になりました。一生の間、粗食で生きていたエスデーです。急にご馳走を食べるようになったので、胃袋がもたなかったのだろうというのです。外見上は病気が治ったように見えても、やはり病気は進行していたのかも知れません。

 エスデーは、その年に庭の片隅につくられた小さな池のほとりに葬られました。冷たい雨が降る日でした。参列者も少なかったので、よけいに寂しいお葬式でした。

 それ以来、エスデーが眠る池は「エスデーの泉」と呼ばれています。

 厳しい一生を過ごしたエスデーですが、せめて最後の数ヶ月は幸せに過ごしたのだと思っています。そう考えるよりほかありませんから・・・。
 お便りどうもありがとうございました。

 エスデー君は、幸せというものが何であるか実感して大往生したのだと思います。平凡に暮らしている私たちと違って、つかの間でも幸福感というものを味わえたはずです。その意味で、エスデー君は幸せだったと思いますよ。
ネコのおしゃべり編集部 メフィスト編集長 (Méphisto) 

2004年1月


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