グリーン・ツーリズムとは何か?

ジャン=ジャック・ルソーの影響
ジャン=ジャック・ルソーの自然賛美の思想
ローマ時代には裕福な人々が海岸に別荘を持つという風習がありました。ところがその後、18世紀半ばまでは、ヨーロッパの人々にとっての自然は恐怖と嫌悪の対象でしかなかったと言われています。

ところが、自然賛美を説く啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712〜1778)の著書が次々とベストセラーになると、ヨーロッパの上流階級の人々の間では自然観や美意識が変化しました。

城の敷地にアモーと呼ぶ人工的な農村を造ることが流行したことも、ジャン=ジャック・ルソーの影響があることは明らかです。ルソーの思想はフランス革命を勃発させることにもなったのですが、同時に貴族たちの意識も変化させたのでした。
自然を愛したジャン・ジャック・ルソーの墓は、遺言に従ってポプラの木が植えられた湖の小島につくられたが、遺骨は後にパリのパンテオンに移されている

*写真にカーソルを合わせると、墓の拡大写真が見えます。
余談
日本では、ジャン=ジャック・ルソーは「自然に還れ」と唱えたと言われています。フランス人にこの「自然に還れ」という言葉を使っても通じないので、長いこと不思議に思っていました。

同じことを思う人はあるものです。日本人フランス文学が書かれた『フランスの知恵と発想』(白水社,小林義彦)を読んで、ルソーは全くそのような表現をしていないのに、日本人学者がこの言葉を用いたために、日本の教科書では特に戦後は常用され続けていたのだと分かってすっきりしました。
ジャン=ジャック・ルソー登場以前にも存在していた
もともと農業に親しみを持っていたフランスの貴族

ヴェルサイユ宮殿に農村を造ってしまったのは、それほど奇異なことではありません。早くから家畜小屋が作られていたし、ルイ14世は工夫に満ちた野菜畑を造らせていました。

今日でも、この「王様の菜園(Potager du roi)」という野菜畑はガイド付きで見学できます。菜園と言っても果実園の趣の方が強いのですが、温度をあげて旬の前に作物を収穫できるようにする工夫などが見られて面白いです。ルイ14世は菜園を自慢にしていて、賓客が来たときには自ら菜園を案内したそうです。

最近では、フランスの各地にある城で昔の菜園を復元して見学させるということが行われています。食いしん坊なフランス人たちのこと、昔の貴族がどんな野菜や果物を食べていたかに興味を持って見学しているようです。

イギリスでは、フランス人より前に農村に憩いを求めた

フランスのことを研究しているので、グリーン・ツーリズムの発祥はフランスにあり! と言ってしまいたいのですが、農村に憩いを求めるようになったという点では、イギリス人の方が先に始めたと認めざるを得ません。

17世紀半ば、イギリスの貴族たちは続々と田舎に隠遁しました。政治的・社会的権力のうえで深刻な危機に直面していた彼らは、隠棲とひき換えに晴ばれした気分にひたるべく大挙して田舎へ逃れたのです。

もっともロンドンの濁った空気が不平の種になってきたのは、13世紀以来のことでした。1578年、エリザベス女王は、空気が悪いというだけで、不健全な首都を離れることにしたと言われています。ちなみに、フランスの王家がヴェルサイユに移り住んだのは、その100年も後のことです。

フランスにいらしても田舎に行く時間がない方は、お城のアモーに行かれたらどうでしょうか?

次は、パリから近いアモーの紹介、それから
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