1886年、アメリカの労働者たちは8時間労働を要求して5月1日にストライキとデモを行ったのですが、死者を出してしまいました。このことを受けて、1889年にパリでフランス革命百年を記念して開かれた国際労働者会議では、5月1日を「国際的一大示威行動日」と決定したのがメーデーの起こりといわれています。
その翌年からデモ隊は3つの要求を掲げます。8時間の労働、8時間の睡眠、8時間の余暇。
この3つの要求のシンボルとして赤い三角形マークが使われました。その後、シンボルは野バラに置き換えられたのですが、1907年には赤いリボンで結んだスズランの花束とされます。
第2次世界大戦中でドイツの占領下にあった1941年、労働者の人気を呼ぼうとしたヴィッシー政権は5月1日を労働の祝日(Fête du
travail)と定めます。
フランスが開放された1947年、政府はこれを引継いで5月1日を有給の休日としました。
今日のヨーロッパでは殆どの国で5月1日はメーデーとされていますが、スイスとオランダにはなぜかないようです。また、イギリスでは5月の第1月曜がメーデーとされており、アメリカでは9月の第一月曜日が労働者の日となっているそうです。
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