グリーン・ツーリズム関係用語の訳語をつくった裏話 | ||||||||||||||||||||||||
1993年に家の光協会から出版した『グリーン・ツーリズム』は、フランス、ドイツ、イギリスのグリーン・ツーリズムを紹介し、さらに日本でどのような形でグリーン・ツーリズムができるかを提案するという本でした。私が担当したのはフランスの部分です。 フランスの民宿を紹介するのは日本で初めての本だったので、訳語づくりにはさんざん頭を悩ませました。キーワードとなる言葉に、定番の訳語が全くなかったのですから! グリーン・ツーリズムの滞在形式としては最も重要なのは、個人の家に宿泊することができるジット・ド・フランス連盟の加盟宿泊施設。それを紹介するためには、連盟が定めている宿泊施設のタイプ名に訳語を作らなければなりませんでした。 ジット・ド・フランス民宿連盟がメニューとして持っている宿泊施設タイプには次のものがあります。
ジット・ド・フランス連盟に加盟する宿泊施設は「民宿」という言葉で総括したいのですが、日本語の「民宿」には特定のイメージがあります。「貸し別荘」も「民宿」と言うのは変な感じもします。 でもフランスでは、B&B民宿も、個人が経営する貸し別荘も、「民家の宿泊施設」という同じカテゴリーに入るので(プロの経営ではないという意味)、「民宿」でも何でも、ともかく一つの言葉がないと話ができなくなります。 不動産屋が経営する営業本位の貸し別荘は、フランスでは異なる単語「meublé(ムーブレ)」を使うのですから、やはり個人が経営する貸し別荘は「民宿」と言いたい…。 ジット・ド・フランスでは、貸し別荘タイプを「ジット・リュラル(gîte rural)」と呼んでいます。ところが,、実は、ムーブレは個人が経営していて場合も多いのです。つまり、ジット・リュラルとムーブレは、何も違わないとも言えてしまうのです...。
いつまでも悩んでいても仕方ないので、「民宿」という言葉を使ってしまうことにしました。 それぞれの宿泊施設タイプにどんな訳語を与えるかは後で決めることにして原稿を書き進めていると、私に割り当てられた原稿用紙100枚というのがネックになってきました。そうなると、頻繁に使う単語は短くするのが一番! と思ったわけです。 @は「貸家民宿」としました。こうすると、Aには「貸室民宿」という言葉が思いつきました。「貸し別荘型民宿」とか「B&B民宿」とかするのに比べると、文字数が省略できる! と喜んだわけです。 それでも変な言葉だと思って、何度も原稿に入っている文字を入れ替えてみたりしました。ワープロは、問題となる単語を検索して簡単に違う文字に置き換えることができるので、原稿用紙に書いていた時代の人たちよりは楽ができたのですが。 後で思うと、そこまでケチケチと文字数を節約する必要はなかった…と反省しました。刷り上った本を手にしたとき、私が書いたフランスの部分にはレイアウトの関係で空白の1ページができていたのです。無駄な努力をしたものだ…と、本当にがっかりしました! 『グリーン・ツーリズム』の本で紹介したことは新聞でも取り上げられました。私がつくった「貸家民宿」とか「貸室民宿」という単語が新聞の活字になっているのを見ると、変な言葉を作ってしまった…と気恥ずかしくなりました。 その後の著作では、「貸し別荘型民宿」とか「B&B民宿」という言葉を使っています。 後になって、九州の方で「農泊」や「農家民泊」という言葉を使っているのを知ったとき、上手な言葉を見つけられたと感心しました! 日本でグリーン・ツーリズムが発達する前から「民宿」というものは存在していたのですが、ヨーロッパで発達している民家のB&Bや貸別荘と、従来からある「民宿」は違うのですから、別の名称を与えた方が活動を特定できますから。
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『グリーン・ツーリズム』の執筆では、農家が経営するレストランを何と呼ぶかも考えなければなりませんでした。 フランス語では「フェルム・オーベルジュ (ferme auberge)」という名称になっています。「フェルム」は「農家」と訳して問題がありません。問題は「オーベルジュ」。 「オーベルジュ」をどう訳すかに戸惑うのは、私だけではないようです。 フランスのグリーン・ツーリズムの大家を、日本で行われるシンポジウムの講師として招聘する仕事をしたときのこと。シンポジウムにはトップクラスの同時通訳が入っていたのですが、この「フェルム・オーベルジュ」を「農家旅籠(はたご)」と訳していらっしゃいました。 聞いていた人が私に「農家旅籠と言うのはひどい」とおっしゃっていたのですが、「オーベルジュ」というのは正に「旅籠(はたご)」のイメージがある言葉なのです! 「オーベルジュ」という古い言葉は、今日ではホテルを思い浮かばせます。本来はホテル、つまり旅籠なのです。宿泊客は食事もできるという田舎宿でした。「フェルム・オーベルジュ」というものが何であるか分からなければ、「旅籠」と言ってしまうのも自然なのです。 今日でも、「ホテル」という名称をつける代わりに「オーベルジュ」という名称を使っているホテルがあります。そういうホテルを見ると、昔の伝統を残していることを強調するために、あえて「ホテル」ではなくて「オーベルジュ」としている感じがします。あるいは昔からあった名前を残している場合もあるのでしょう。 「オーベルジュ」という名のホテルは、近代的な改装はしていない粗末なホテルであることが多いようにも感じますが、中には田舎らしさを強調した素敵なホテルもあります。日本のホテルでも「オーベルジュ」という言葉を使っている所があるのは、この後者の例を見たからでしょう。 フランス人が「オーベルジュの食事」と聞いたときには、洗練されたシェフがいるレストランの高級料理ではなくて、家庭的でおいしい料理を思い浮かべるはずです。まさに料理自慢の太った奥さんがいるような安宿で出される食事です。フェルム・オーベルジュの人気は料金が安いこともあるのですから、このフランス語の命名は傑作だったと思います。 悩んだあげく、『グリーン・ツーリズム』の本の中では、「フェルム・オーベルジュ」を「農家料理屋」と訳しました。「農家料理屋」というのはおかしいと言う人もありました。「料理屋」という日本語は料亭のイメージがあるので相応しくない。そう言われると、なるほど〜…と反省しました。 でもフェルム・オーベルジュを「農家レストラン」と訳せないのには理由があるのです。「フェルム・オーベルジュ」という名前をつくった農業会議所の農家ツーリズム・ネットワーク(農家へようこそ)では、「フェルム・オーベルジュはレストランではない」と強調しているからです。 農家オーベルジュは、プロが経営するレストランとは違うことが特徴なのです。利用客に出す料理は、経営者の農家がつくった食品を中心にして、その土地の農産物や農産加工品を極力使った郷土料理を出すのが決まりになっています。レストランのように、どんな料理を出しても良いというものではありません。さらに外部から雇った調理人が料理をすることは認められず、農家の家族の誰かが料理しなければなりません。 農業会議所では、レストランではないと言うことによって、プロではない農家の人が料理をつくるのだから、メニューにある料理が品切れになっていても、サービスがのろくても、レパートリーが少なくても了解して欲しいとPRしています。 つまり「フェルム・オーベルジュ」は、レストランとは明らかに異なるのです。 後になってから、「農家食堂」という言葉を使っている先生がいらっしゃるのを見たときには、これも訳語として相応しかったかも知れないと思いました。 確かに農家レストランには、一流レストランのような洗練さはありません。でも「食堂」というと、安っぽいテーブルとイスがあるレストランを想像してしまいます。フランスの農家レストランは例え調度品が質素でも建物は重厚なことが多いですし、お城などの歴史的価値がある建物の農家(城が農家になることが多いので)、あるいはレストランも顔負けするくらい素晴らしい内装のレストランがたくさんあるのです。そんな農家レストランを「食堂」と呼んでしまうのは気の毒になってしまいます。 日本のグリーン・ツーリズムでは「農家レストラン」という言葉で定着したようです。私の方は、相変わらずフランスに関しては「農家レストラン」という言葉を使うことに抵抗を感じて、「農家レストラン」と言ったり、「農家料理屋」と言ったりしています。未だに適当な訳語が思いつかないのです…。 |
『グリーン・ツーリズム』の本ですっきりしない訳語を作ってしまったので、次には良い訳語を作らなければと自分に言い聞かせていました。 日本に紹介したいと思っていた「ferme pédagogique(フェルム・ペダゴジック)」に興味を持ってくださる方々が現れたのは1986年。どのような訳語にするかで、かなり悩みました。 「フェルム」は、英語ではfarm。「農家」と「農場」の意味があります。「ペダゴジック」は、英語にすればpedagogical。「教育的な」という堅苦しい言葉です。始めは「教育農家」と訳して話していたのですが、1986年の夏にレポートを提出するにあたり、「教育ファーム」という言葉にすることに決めました。 フランスの教育ファームは、農家がしている場合と、自治体やNPOなどがつくった農場もあるのですが、英語のファームなら「農家」と「農場」の両方の意味を持たせて、フランス語の「フェルム」と同じになるからです。
フランスの教育ファームが書店で販売される本を出版されることになったときは、再び「教育ファーム」で良いだろうかと悩みました。フランスのことなのに英語を使うのは気が咎めたからです。 それでも、「教育ファーム」というのは何となく耳触りも良いように感じたので、これで通すことにしました。 日本教育新聞社から『フランスの教育ファーム いのち、ひとみ、かがやく』を出版された1999年。 少したってからインターネットで「教育ファーム」と検索したら幾つかでてきて驚いたりしていました。今では、すっかり日本に定着したようです。抵抗がない造語だったかとほっとしております。 結局、訳語に悩んだら英語にするのが一番なのでしょうか?… 日本でいう「教育ファーム」と、私が使った「教育ファーム」は少しは違う点があるのですが、子どもは親を離れて一人歩きするものだから... と思い、正しい道を進んでくれるように祈っています。 |
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作成:2003年12月 更新: 2009年12月 |
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