フランスの
母の日は
いつ、どのようにして
できたのか?


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 フランスの母の日は5月最後の日曜日が母の日。ただし、キリスト教の精霊降臨の主日(Pentecôt)が同じ日曜日となってしまう年には、6月の第1日曜日が母の日となります。

 母親に感謝する日というものを生み出したアメリカでは「Mother's Day(母の日)」ですが、フランスでは「Fête des Mères(母親の祭日)」と呼ばれます。

 フランスでも、この日に母親にプレゼントする人が多いのですが、母の日とカーネーションとの結びつきは関しては、日本ほど強くないように感じます。

目次
日本では・・・

 古代にも母の日のようなものは存在していた
 母親を賛美することは古くからあった考えです。

 古代ギリシャでも、ローマ帝国時代にも、多産の女神キュベリアや、ゼウスの母レアを祝っていました。しかしキリスト教の浸透とともに、こうした風習は忘れ去られました。

 16世紀(説によっては15世紀)、イギリス人たちは、四旬節(復活祭の前日までの日曜日を除く40日間)の始まりに、Mothering Sundayと呼ばれる日曜日を祝いました。これは後に、春になってから4回目の日曜日と定められます。

 この時代のイギリスでの母の日は、裕福な家庭に奉公に出ている母親たちが、里帰りをして家族と過ごせる日でした。休暇などない時代でしたから、彼女たちには貴重なお休みとなりました。

 今日の「母の日」はアメリカの反戦運動から生まれた
Julia Ward Howe アメリカでは、19世紀末、今日的な「母の日(Mother's Day)」が誕生しています。

 1872年、ジュリア・ワォード・ハウ(右の写真)が、母の日というアイディアを思いついたのです。

 彼女は有名な「リパブリック賛歌」の作曲をした人で、奴隷制度廃止論者であり平和活動家でした。母の日は、戦争にあけくれる男たちに対する母親たちの反戦運動だったのです。

 彼女は毎年ボストンで母の日イベントを行うのですが、それほど影響力はなかったようです。

 この考えを受け継いで母の日を今日の形にしたのが、同じくアメリカのアンナ・ジャーヴィス(Anna Jarvis) 。1907年、フィラデルフィアで母の日のイベントが行われました。

 彼女の母親の2回目の命日に行われたのですが、これが5月の第2日曜日でした。このとき彼女は母が好きだった白いカーネーションをささげたことから、母の日にはカーネーションがつきもののようになります。

 彼女は行政にも積極的に働きかけて母の日のキャンペーンを行ったために、1911年にはアメリカのほとんどの州で母の日が祝われるようになります。

 1914年、アメリカでは5月第2日曜日が母の日として正式に定められました。

リンク:
 ☆ ジュリア・ワォード・ハウについて:
   Julia Ward Howe (歴史に貢献したアメリカの女性を紹介するサイト。英語)
 ☆ ジュリア・ワード・ハウが作曲した「リパブリック賛歌」について (日本語。曲も聞けます)
 ☆ Anna Jarvis - Mother Of Mother's Day (英語)
 次に、フランスでの「母の日」がどのようにできたかという歴史をお話しします。

 フランスではギリシャを「母の日」の起源にしているのですが、アメリカでは無視しているのではないでしょうか? と思うのは、フランスの「母の日」は、むしろギリシャ・ローマ時代に近い考え方から誕生したからなのです。
作成: 2006年5月


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