フランスのクリスマス:

サンタクロースは ペール・ノエル

Père Noël


サンタクロース がクリスマスイブにプレゼントを持ってきてくれることになっているのは日本と同じ。

大きな靴下を暖炉のところに吊るしたり、置いておいたりするのだそうです。

サンタクロースにワインを振舞うの?!

 サンタクロースは、子どもの守護聖人である聖ニコラウスが原型になっているといわれます。

 聖ニクラウスは、フランス語ではSaint Nicolas (サン・ニコラ)。

 現在のサンタクロースに外見も似ているとも言われます。白く長いヒゲがあります。司教の帽子やマントは少し変形すればサンタクロースになるような感じもします。

 聖ニコラウスは子どもにプレゼントもする話しがありますし、サンタクロースと非常によく似ています。

ただし、聖二クラウスは、ソリではなくてロバで旅行しました。

それで、フランスにはクリスマスツリーの下にグラスワインとニンジンを置く地方があるのだそうです。

もちろんワインはサンタクロースに、ニンジンはロバに対するお礼です!


サンタクロースは「ペール・ノエル」

フランス語では、サンタクロースのことは「Père Noëlペール・ノエル)」と呼びます。ペールとは「お父さん」、ノエルは「クリスマス」のこと。

もっともPère(ペール)という単語は自分の親にだけ使うものではなくて、親しみを込めて日本語の「おじさん」のよう呼び方をするときも使われるので、「クリスマス爺さん」という感じなのかも知れません。バルザックの小説で『ゴリオ爺さん』と訳されているのも、原題ではペールが使われていますから。

聖ニクラウスとは呼ばないところ、宗教的な感覚からは切り離して、日本で「サンタさん」と呼ぶのと同じ感覚なのかも知れません。

クリスマスマーケットに設置されたサンタクロースの家
記念写真をとる料金を、歳末助け合いのような募金として運用されることが多いようです


サンタクロールはアメリカ文化が生み出した

サンタクロースの歴史を調べてみるまでもなく、これはアメリカで生まれたのではないかと予想していました。こんな派手ないでたちというのはアメリカ的ですから!

聖ニクラウスがサンタクロースにまで成長したのは、やはりアメリカでした。

まず一役かったのがオランダ人。宗教改革でプロテスタントは聖ニクラウスの祭日を祝わないことにしたのに、オランダ人たちは守り続けたようです。オランダ語では「聖ニクラウス」はSinter Klaasと表記されますが、これが現在のSanta Clausの語源となったとされています。

17世紀にアメリカに移住したオランダ人たちは、聖ニクラウスの祭日をそのままするのではなくて、クリスマスの前夜に聖ニクラウスが子どもたちにプレゼントをしたという風にしたようです。その後、サンタクロースのいでたちやストーリーが形成されていきます。

フランスの社会学者によれば、アメリカでは1820年ころにはサンタクロースが富の象徴として人気者になったと分析しています。

現在のサンタクロースの姿、すなわち白い毛皮を付けた赤い服にベルトを締めているという姿は、挿絵作家のThomas Nast が 「Harper's Illustrated Weekly」に描きました(1860年)。

アメリカでのサンタクロースの人気は高まり続け、1920年ころにはデパートの大きなアトラクションになりました。

コカコーラのポスターそこに登場したのが、なんとコカコーラ!!!...

現在のサンタクロース・スタイルで、コカコーラを冬に飲むようにと宣伝したのです。時に1931年。

なるほど、サンタクロースはコカコーラのカラーです!

このキャンペーン(35年間続いた)によって、現在のサンタクロースの姿が世界中に定着することになりました。


メタルサイン
コカコーラ・サンタコークタイム

コカ・コーラ75周年
サンタクリスタルボトル

(世界500本限定)

コカ・コーラのプレート

コカコーラ ノベルティ


しかしフランスで今日のようなサンタクロースがポピュラーになったのは、第二次世界大戦が終わってからだと言われています。

次のページでご紹介するサンタクロールのクリスマスソングが作曲されたのは1946年でした。この「プチ・パパ・ノエル」の曲が映画「Destins」(1960年)でが使われて有名になります。
日本のサンタクロースはどんな顔?

Pere Noel Francois

消費文化の肩を担ぐサンタクロースに反発したブルゴーニュ

カトリックの敬虔な信者からすれば、聖ニコラウスが商売のために利用されるのはおもしろくないはずです。法王もサンタクロースに反対の表明をします。

事件がおきたのは1951年。フランス東部にあるブルゴーニュ地方の行政中心地ディジョンでした。

12月23日、サン・ベニーニュ大聖堂の前でサンタクロースの人形が火あぶりにされたのです!

聖職者たちの主張は「サンタクロースの嘘と誤解を招く作り話に抵抗するため」とのこと。子どもたち250人を集めて目の前で行われたそうです。

余りにも残酷...。フランス中で大騒動になったようです。「ディジョンにおける火刑判決儀式」などというタイトルを付けた新聞記事もありました。この言葉は異端審問の用語です!

サンタクロースを火刑に処した宗教関係者たちの言い分には、こんなのもありました。フランスの公立学校では宗教色を抜いた教育を行うことが義務付けられています。それで、フランスの伝統的なクリスマス飾りであるクレッシュは学校に飾れません。ところが、サンタクロースは学校にやって来ても良い。それではおかしいのではないか、という不満です。

「サンタクロースはけしからん」と怒りたくなる信者の気持ちは分かりますが、子どもたちのヒーローを火あぶりにするのはちょっと酷すぎる...。カトリック信者の中でさえ批判的な人もあったそうです。

ところがサンタクロースの処刑があった翌日、つまりクリスマスイブの夕方、ディジョンの街に奇跡が現れました!

市庁舎の屋根の上にサンタクロースが姿を現われたのです。サンタクロースが復活したというわけです!
これがディジョンの市庁舎(昔はブルゴーニュ公国の宮殿でした)なのですが、私のトリック写真です!
いまだに続いているディジョンの風習ですが、見に行ったことはないので合成写真です!
実際のイベントを見せるビデオはこちら

市長の粋な計らいでした。当時のディジョン市長はキール氏。教会参事会員でもあった聖職者なのですが、豪快な人だったので色々なエピソードを残しています。

ディジョンの事件に触れたレヴィ・ストロースの記事:
Lévi-Strauss, Claude : « Le Père Noël supplicié»Les Temps modernes, mars 1952, p. 1573-1590

サンタクロースの秘密  クロード レヴィ=ストロース (著), 中沢 新一 (著, 翻訳)

このことが起こりとなって、ディジョンの市役所の屋根には、毎年12月24日にサンタクロースが登場します。今では技術もあるので、サンタクロースも高い塔から降りてきたりするパフォーマンスを披露。ディジョン子たちの人気を集めています。


完全に定着したサンタさん


サンタクロースに手紙を送るための郵便ポスト
今日のフランスでは、クリスマスにサンタクロースはなくてはないらない存在になりました。ハロウィーンの方はなかなかフランスには根付かないだろうと言われているのですが、今後どうでしょうか?...

フランスのサンタクロースは「ペール・ノエル」と呼ばれて、「サン・ニコラ(聖ニコラウス)」とは呼ばれません。

聖人と消費社会が作り出したサンタクロースを区別するからなのでしょうか? いつ、なぜ「ペール・ノエル」と呼ばれるようになったかについて説明している資料は見つけることができませんでした...。

クリスマスソングのページへサンタクロースを「お父さん」と呼ぶフランス。
「プチ・パパ・ノエル」という題の、可愛いクリスマスソングがあります。
作成: 2006年12月

  フランスのクリスマスを紹介したページの目次

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